テリー・フォックスさんのことを知っていますか?
カナダでテリーはヒーローの1人。
カナダ・マニトバ州で生まれたテリーは、
18歳のときに、骨肉腫により右足を切断。
病院で子どもたちが同じ病気・がんでなくなっていくのを目の当たりにし
自分で何かできないかと始めた寄付金を集める運動。
それが、1980年に行われた「希望のマラソン」。
がん研究のための資金を集めるためにと
計画したマラソンは8000キロ。
義足で一日に42キロのフルマラソンを毎日走って
大陸横断することを決意します。100万ドルを集めることを目的に。

初めは、みんなが無理だと見向きもしなかった人たちが
彼の熱意に引き込まれていきました。
当時の義足で毎日フルマラソンを走るのは
並大抵のことではなかったはず。
5373キロを走った時点で(143日目)
がんが肺に転移したため断念し入院。
22歳で短い生涯を終えました。
その後、テリーの意思をついで
カナダで1981年に初めて[Terry Fox Run」が
行われ、今ではカナダでは120箇所、
海外では日本、中国、インドやキューバなど
各地で同マラソンが行われています。
テリーは
1カナダドルコインの裏のデザインに選ばれたことがあり
私も、なんとなく知ってはいたのですが
今回、取材をするにあたり、家族の人や関係者に会い
カナダだけではなく、世界のがん治療の発展のために
偉大な功績を残してくれたテリーさんの意思を
できるだけたくさんの人に伝えたいなと思いました。

このマラソンは、1キロ~10キロ(場所によって距離は変わる)を
歩いてもいいし、走って参加もできます。
車椅子の参加や、ベビーカーを押しての参加も場所によっては大丈夫。
参加費用はなしで、寄付金を募ります。
120箇所で行われるランニングイベントに加え
頭を坊主に剃ってカツラを作るために毛髪を寄付するイベントや
その他たくさんのイベントのほとんどが
ボランティアがサポートしています。
テリー財団のスタッフは家族を含む約30人。
ここまでボランティアばかりで成り立つイベントも珍しいのではないでしょうか。
テリーの意思が受け継がれている証拠です。
イベントで、テリーが走ったときに
ずっと一緒だった伴走車が展示されました

テリーが休息をとった場所
テリーは1日フルマラソンの42キロが終わると
テリーを応援する住民たちから、ホテルの用意などの申し出を全て断り
シャワーを浴びる以外は
このバンで寝たり休憩したそうです。
バンの近くにいた車椅子にのった若い女の子。
テリーと同じ骨肉腫で右足を切断したといいます。
「このバンをどうしても、一目見たかった。
彼は私に生きる希望を与えてくれた。特別な人」と。
テリーの存在は、たくさんの人の生きる励みになっています。
次に話した人に
「今日は、車を見にこられたんですか?」などと話をはじめ、
ベラベラ話すこと5分。どうでもいい雑談なども話して
最後に自己紹介がてら名刺まで渡して
「お名前は?」
と聞くと
「市長です・・・」と
答えが返ってきた・・・(知らんかったんかい!)
サム・サリバンバンクーバー市長やったんや~
失礼いたしました~。
知らないって怖いね~。
市長に「誰?」って聞いてもうたがな。
その話をすると、カナダ人ドンビキ。
サリバン市長。
そんな私にも、とてもやさしくて気さくな人でした。
テリーについてスピーチ。
彼自身も体に障害があるので、福祉に特に力をいれておられます。
私が話した「日本でもテリーフォックス・ランやってるよ」といったことを
スピーチの中でも取り上げ
「テリーの行動は今や全世界にムーブメントを起こし
世界的な歴史を作り上げている」とおっしゃっていたけど
ほんとその通り。
1ドルの寄付のうち、87セントは研究費用に
あてられます。余計な広告費を寄付の中から
使うことはしません。
テリーの銅像
伴走車の前に立って
たくさんの人の話を聞いていると
私でも何かできることはないのかと
考えさせられました。
世界を超えて大きな動きとなっているテリー・フォックス・ラン。
日本でも岐阜県で23日に開催されるようです。
おまけ
市長に市政の文句をいうゴミを集める人

仕事がないやら、ずっと文句をいうも
サリバン市長は、「うん、うん」と聞いておられました。
日本だと、お付きの人が止めたり普通に話したり
できなさそうな感じだけど、
お付きの人も止めるわけでもなく、
普通に話ができます。
私もお話したように(まあ、市長ってしらんかったけど)。
市長だからといって、持ち上げるわけでもなければ
一般の人に混じって雑談したりして。
日本との違いを感じたわ。